2011年12月19日 父死去


2011年8月に末期ガンが発覚して以来、闘病していた父がついに力尽きて逝去した。
2011年12月19日(月) 23時過ぎだった。

自分の会社の決算処理のためお世話になっている税理士事務所へ行った帰りに父を見舞ったのだが、話をしたりマッサージしてあげたりしているとベッドの上で座っているのがきつそうになり、横になってしばらくすると意識を失い呼吸もおかしくなって、そのまま意識が回復することなく23時過ぎに息を引き取った。

入院当初からいつ容態が急変するかわからないとも言われていたし、鹿児島の有名な医者のセカンドオピニオンも治療が成功しても半年から1年しか持たないだろうと言われたし、9月に転院した先の病院でも年内だろうと言われていたので、想定の範囲でついに来たかという感じ。

それでもやはりついに死んでしまうかと思うと涙が溢れてしまった。

溢れる涙をこらえつつ、妹、弟、父の兄弟たちに連絡したのだが、県外に住んでいる弟家族も駆けつけて全員が顔を見せたあと、兄弟や孫が一度撤退したあと静かに息を引き取った。

意識を失ってからは痛がることもなく静かに息を引き取れたのは良かったと思う。

父の希望で葬儀は身内だけってことで死亡広告も出さず告別式もせずに見送ったのだが、さすがに親しかった友人たちや父が在職中に慕ってくれていた同僚の皆様には連絡をして、顔を見に来てもらった。

そんな訳で家族葬といいつつ、父を愛してくれた沢山の方々と共に見送れてよい葬式だったと思う。

告別式をしなかったことで、見送ってくれた皆さんはきっといろいろ戸惑ったと思う。

振り返ると申し訳ない気持ちになったし、よくある死亡広告を出し、告別式をする葬式のスタイルというのは非常に合理的なんだなぁともおもった。

でも、後悔はしてない。

家族葬で広告も出さない告別式もしないと宣言したことで、義理や義務感で葬儀に参加する人はほとんど排除でき、父の死を心から悲しんでくれる人たちがあつまったいい葬式になったと思う。

父は非常に優秀な人だったと思う。
それだけに、若い頃から酒浸りで人生を浪費してしまったのが非常にもったいないと思う。

社会的に成功した父と兄三人をもち、両親が年をとってからの子で忙しい父から十分に愛を受け取れなかったり、兄と比較されたりして傷を負い、それから逃げるために酒を飲んでごまかしていたんじゃないかと思う。
まぁ、僕という息子が推測する理由でしかないから本当のことはわからないけどね。

頭の切れという点では本当に兄たちよりも優れていた(少なくとも劣っているということはなかった)と思うだけに心の傷というものは人生に大きな影響を与えるもんだなぁと思う。

自分でその傷を認識して癒すことが出来れば酒に溺れたりしなかったと思う。
そういう話もしたかったけど、そんな話ができる状態と関係じゃなかったのが残念。
まぁ、息子からそんな事言われて素直に受け止められるか微妙だけど。

なんか話がぐだぐだになってきたけど、あれだ。

親父は2011年12月19日に死んでしまった。

その記録のためのブログ記事。

PS. 僕の親が死んだということで香典をと思う方もいらっしゃると思うけど、持ってきたりしないでね。僕へは「大変だったね」みたいなそんな言葉だけでいいよ。香典持ってきていいのは僕の父と親しく付き合っていた人だけね。まぁ、そんな人は僕に持ってきたりせずに母のところに行くと思うけど。

編集メモ
2011.12.31 タイトルに「父逝去」としてましたが、「逝去」は他人を敬ってとのことのようでしたので、「死去」に書き換えました。

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